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名古屋高等裁判所 平成2年(ネ)57号 判決 1992年11月26日

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  被控訴人は、控訴人遠山光子に対し、金一〇七九万九三八一円及びこれに対する昭和五三年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人は、控訴人遠山実に対し、金八八九万九三八一円及びこれに対する昭和五三年一〇月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  控訴人らのその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを八分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。

六  この判決は、第二、三項に限り仮に執行することができる。

理由

一  請求原因1(控訴人らは美智子の両親であり、被控訴人は産婦人科医師で、肩書住所地において内藤産婦人科医院を開業していること)は、当事者間に争いがない。

二  請求原因2(事実の経過)については、次のとおり付加・訂正する外、原判決一九枚目裏四行目の冒頭から同二七枚目裏六行目の末尾までのとおりであるから、これをここに引用する。

1  原判決二〇枚目表末行の「第七号証の一ないし七、」の後に「第一二号証の一、二、」を付加し、同裏三行目から四行目にかけての「証人鈴置洋三、同安江弘之の各証言」を「原審及び当審証人鈴置洋三、同安江弘之の各証言」に改める。

2  同二三枚目表六行目の「羊水の混濁もなかつた。」を「、羊水の流出はあつたが、混濁はなかつた。」に改める。

3  同二四枚目裏五行目の「三〇分毎に合計三回注射し」を「三〇分毎に合計三回いずれも分割投与法による皮下注射をし」に改める。

4  同二五枚目表八行目の「奥のあたりに固定した状態」を「奥のあたりの骨盤内に固定した状態」に改める。

5  同二五枚目表一〇行目の冒頭から同二六枚目表八行目の末尾までを次のとおり改める。

「被控訴人は、それまでの控訴人光子の長引く分娩の経緯に徴し、控訴人光子を『子宮口頚管強靭症』及び『微弱陣痛』と診断していたが、破水後の時間の経過等に照らし、このまま更により強い自然陣痛を待つていたのでは、控訴人光子に細菌感染が生じる恐れがあることや同人の心身の疲労が一層高まることを懸念し、早期の分娩を確保する必要があるものと考え、そのためには帝王切開術を行うしか方法がないと判断した。ところで、被控訴人医院においては、昭和四九年ころまでは帝王切開術も行つていたが、その後はこれを行う態勢にはなく、その必要が生じた場合には、訴外病院に転送して同術を施行して貰うこととしていた。そこで、被控訴人は、同日(昭和五二年七月一一日)午後一一時三〇分ころ、同病院の宿舎に居た鈴置医師に電話で、「分娩の長引いている患者がいて、子宮口は開いているが、陣痛が弱くて普通の産道から産むのはとても無理ではなかろうか、できたら帝王切開術をお願いしたい。」旨訴外病院への転院を申し入れた。その際、被控訴人は、控訴人光子の分娩経緯について、それ以上に、控訴人光子に投与した薬の種類、量等を初めとする被控訴人医院における控訴人光子の分娩に関する従前の推移や診療内容等についての詳細な説明はしなかつたが、訴外病院から右の申し出を受け入れる旨の了解を得たので、控訴人らに対し、帝王切開術を受けた方が良いのでその態勢の整つている訴外病院に転院するよう促した。転院を促された控訴人らは、これに応じることとはしたものの、控訴人光子が歩ける状態ではなかつたので、被控訴人に対して転院のための救急車を呼んで欲しいと依頼したものの、叶えられなかつたので、控訴人光子は、同実が被控訴人医院に乗つて来ていた普通自動車の後部座席に体を横にするやや不自然な姿勢で乗車した上、約四キロメートル離れた訴外病院へ向かつた。なお、右の転院に際し、被控訴人医院側から、被控訴人或いは看護婦等の付添人は一人もいなかつた。」

6  同二六枚目裏五行目の「安江医師が、」を「安江医師は、鈴置医師から指示を受けた後、帝王切開術をも予想し、手術室にその旨を連絡するなどしてその準備をしていたが、」に改める。

7  同二七枚目表四行目の「異常はなかつた。」を「異常はなく、児頭が子宮口のほぼ出口付近にまで下りていて、ほぼ排臨といえる状態であつた。」に改める。

8  同二七枚目表七行目の「そして、」から同一〇行目の末尾までを「そこで、安江医師は、同時(昭和五二年七月一二日午前零時)二〇分ころ控訴人光子の外陰部消毒をし、膣の両側を切開した後、陣痛が微弱であつたところから陣痛促進のためアトニンO一E(一単位)を静脈注射の方法で投与した上、五〇センチメートル水銀柱圧で一回当たり約二〇秒間の吸引を二度にわたつて行つたが、有効な陣痛がなく分娩に至らなかつたので、更に強力な陣痛を得るためより陣痛促進の効果の高いアトニンO五E(五単位)の二分の一アンプルを静脈注射し、腹盤上からの子宮底圧迫を行いながら右同様の吸引(三度目の吸引)を行つたところ、右三回目の吸引により漸く」に改める。

三  被控訴人が、昭和五一年一一月三〇日、控訴人らとの間で控訴人光子の分娩に関する診療契約を締結したことは、被控訴人において明らかに争わないので、これを自白したものと看做す。

四  美智子の死因について

1  前記のとおり(原判決判示)、美智子は、昭和五二年七月一二日午前零時四八分に新生児仮死第一度で出生し、その約四〇時間後である翌一三日午後四時四七分に硬膜下出血が原因で死亡したものである。そこで、右直接の死亡原因である硬膜下出血の原因について以下に検討することとする。

2  先にみたとおり(原判決判示)、控訴人光子が訴外病院に転院した当時、控訴人光子と胎児は共に生存し、児心音も正常で特に異常はなく、子宮頚管成熟(ビショップスコア一二点)があることから、安江医師は経膣分娩が可能と判断し、陣痛促進剤を注射した上、吸引分娩を実施したものである。そして、控訴人光子の外陰部の消毒のなされた昭和五二年七月一二日の午前零時二〇分から僅か二八分後に胎児の娩出を見ており、控訴人光子が訴外病院に転院した際の主訴が微弱陣痛であつたことに徴すると、極めて短時間に急遂分娩が終了したものということができる。

ところで、硬膜下出血は、一般に、児頭が骨産道を通過する際、前後からの圧迫を受け、天幕が破綻して脳底静脈が出血して発生するとされており、成熟児に硬膜下出血が発生する原因のうち特に瀕度の高いものとして、胎児に強い牽引力の及ぶ吸引分娩の施術が挙げられており、しかも、右の方法(吸引分娩の施術)を採る場合においても、過度の力を胎児に与えることを防止するため、せいぜい二回程試みて成功しない場合にはこれを断念するのが相当であるとされているのに、本件の場合は三度目の吸引で漸く出産した程の難産であつた(訴外病院で本件出産に関与した安江医師も、「三度目で成功しなかつた場合には、鉗子分娩に切り換える予定であつた。本件出産は難産であつた。」旨を原審で証言している。)のであつて、これらの事情によれば、本件分娩により胎児に対して強力な力が加わつたということができる。

また、本件分娩により控訴人光子に恥骨離解が生じているが、これは分娩に際し児頭に大きな力が加わつた場合に生じるものと解される(原審麻生鑑定等)ところ、美智子は四一五〇グラムというかなり大きな児であつた上、吸引分娩の際腹壁上からの子宮底圧迫が行われたこともあつて、その娩出の際、児頭に強力な力が加えられたことが推認されるところである。

更に、安江医師が行つた陣痛促進剤の注射の結果、控訴人光子に過強陣痛ないし強直性子宮収縮が発生した虞れもある。即ち、《証拠略》によれば、アトニンOには、一管一ミリリットル中に、オキシトシンを一オキシトシン単位含有するものと五オキシトシン単位含有するものとがあり、子宮収縮の誘発、促進、子宮出血の治療、射乳促進の目的で使用されること、オキシトシン投与方法には、点滴静注法、分割皮下法、筋注法、静注法があるが、昭和五二年当時においても分娩時至適濃度を維持するためには、点滴静注法が良いと考えられており、他方、分割皮下法、筋注法は、誘発効果が不確実である上、強調性に欠ける等の欠点があり、したがつて、短時間で分娩が終了すると予想される場合の陣痛促進剤としては有効であるが、分娩誘発法としては望ましい方法ではないとされていること、一般的には五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットルにオキシトシン五単位を溶かし、一〇ないし二〇滴から開始する方法が普及していたこと、オキシトシン投与に伴う合併症としては、過量投与による過強陣痛ないし強直性子宮収縮、これらに伴う胎児仮死・胎児死亡及び過量投与による子宮破裂等が考えられるところ、被控訴人医院の後院の担当医として訴外病院安江医師が陣痛促進目的で行つた控訴人光子に対する前記アトニンOの投与方法は、過剰投与の危険性が高いとして一般的にその方法による投与を差し控えるべきものとされている静注法(静脈注入法)であつたのに加えて、現に投与された量も過量なものであつて、果たしてこれが相当な投与方法であつたといえるかについては、かなりの疑問のあるところであることが認められるのであつて、右の認定事実に徴すると、安江医師の行つた前記アトニンOの過剰投与により、控訴人光子に、その程度はともかくとして過強陣痛ないし強直性子宮収縮が発生したことの可能性を全く否定してしまうことはできない。もつとも、麻生鑑定書には、「控訴人光子が、訴外病院に転院する前、被控訴人医院において陣痛促進の目的のもとに投与を受けた薬剤(プロスタルモンとアトニンO)の刺激に少なくとも二日以上曝されていることなどに徴すると、訴外病院への転院時には安江医師の投与するアトニンOによつて控訴人光子に過強陣痛ないし強直性子宮収縮を起こすような予備能が残されていた可能性は少ないと考えられる」旨の記載があり、また、《証拠略》にも同趣旨の記載部分がある。確かに、前認定(原判決判示参照)のように、訴外病院に転院させられるに先だち、被控訴人医院において、控訴人光子が相当程度の陣痛促進剤を投与されていたこと、及びこれにもかかわらず控訴人光子は陣痛微弱の状態で訴外病院に転院させられたことに徴すると、右の麻生鑑定書等の指摘にも合理性を認める余地はある。しかしながら、前記鑑定人自身、前記鑑定書において、「安江医師の行つた陣痛促進剤の投与方法は、過強陣痛ないし強直性子宮収縮を起こす危険性があり、相当なものではない」旨を記載しているのであつて、たとえ被控訴人医院における陣痛促進剤の投与によつて過強陣痛ないし強直性子宮収縮を起こす予備能が幾らか減少したとしても、訴外病院への転院当時において、控訴人光子に、右過強陣痛等を起こすに足りる予備能が全く消滅してしまつたとまで言い切れるかは疑問であるといわざるを得ない。

右の諸事情によれば、美智子が娩出される際、吸引分娩に伴う頭部に対する牽引力等の強力な力が胎児の児頭に加わつたことは明らかであり、これが、美智子の直接の死因である硬膜下出血発生の直接的な要因(引き金)となつたことは、前掲各証拠に照らしても是認できるところである。

3  他方、通常の分娩時間-陣痛もしくは破水の開始から分娩終了までの時間-は、せいぜい初産婦で約三〇時間、経産婦で約二〇時間といわれており、分娩が著しく遷延し、破水後長時間が経過して羊水の混濁等が生じた場合、胎児仮死の発生する危険性が高くなり、胎児仮死が発生したときはそれによつて胎児の血管が出血し易い状態となり、胎児仮死のない場合に比して容易に頭蓋内出血が引き起こされるものである(麻生鑑定書、原審寺田及び同麻生の各鑑定等)。ところが、前記のとおり(原判決判示等)、本件分娩は、破水の開始後分娩終了までに九〇時間を超えており、著しい遷延分娩というべきものであり、その間、羊水過少もしくは羊水消失を来していた可能性があること及び美智子の臍帯が胎児の大きさに比して短いことなどの理由から、胎児の低酸素症が増悪された可能性がある上、訴外病院への転院当時羊水混濁を呈していたことなどから、胎児が子宮内感染をしていたことが推認されるのであつて、右の諸事情によれば、右転院当時において既に胎児仮死(その程度はともかくとして)が発生していたものと認めざるを得ない(麻生鑑定書も同旨)。もつとも、原審寺田鑑定等は、本件の場合、羊水の混濁のみで胎児仮死と診断することには問題があるとしている。しかしながら、同鑑定等は、そのように判断した理由として、胎児心音が正常であつたことや羊水混濁の程度についてのカルテ上の記載がないこと等を挙げているが、たとえ胎児心音が正常であつたとしても、胎児仮死の生じる可能性は、胎児仮死それ自体を当時の医療水準のもとで予測することができたかどうかはともかくとして、否定できないところであり(麻生鑑定書)、また、同鑑定等が指摘するような羊水混濁の程度に関する記載がないことから、その段階において胎児仮死を予測することは困難であつたとしても、そのことのみによつて胎児仮死発生の可能性までをも否定することはできないものというべきであつて、同鑑定等の右の指摘をもつて、本件における胎児仮死発生の可能性を否定することはできない(同鑑定等も、訴外病院への転院当時、少なくとも胎児仮死へと悪化する可能性を十分に有していたと考えられる旨指摘している。)。

4  以上種々検討した結果を総合すると、控訴人光子は、転院当時、分娩が遷延し、これによつて子宮内感染が発生し、これに伴い生じた胎児仮死によつて頭蓋内出血を起こし易い状態となつていたところに吸引分娩に伴う強力な牽引力等が児頭に作用し、それが直接の引き金となつて、美智子の硬膜下出血が惹起したと推認するのが相当である。

五  被控訴人の帰責事由について

1  「控訴人光子の破水に対する措置の欠落」に関する控訴人らの主張〔請求原因3(一)(1)〕について

控訴人らは、「被控訴人としては控訴人光子の破水について可及的速やかに確認し、内外診所見を把握して必要な処置を行うべきであつた、したがつて、被控訴人は、昭和五二年七月七日午後九時ころ控訴人光子から破水を強く示唆する電話連絡を受けた時、控訴人光子に対して直ちに来院を指示し、外陰部の清潔保護と抗生物質の投与などの専門的な措置のもとに控訴人光子を管理すべき義務があつたのに、これを怠つた」旨主張する。

《証拠略》及び麻生鑑定等によれば、次の事実が認められる。

<1>破水は、胎児の生活環境を保護している卵膜に断裂を来し、羊水が子宮外に流出する現象であり、破水後胎児は、外界との交通のある汚染された羊水中に存在することになり、そのため時間の経過とともに細菌感染の危険性とその程度が高くなること、<2>また、破水後は、先進部(児頭)より前方に形成される胎胞によつてもたらされる楔作用がなくなり、頚管の拡大が妨げられ、開口期が延長するなどの不都合なことが起こり得るので、何時、どのような状態で破水したかということは、その後の分娩経過を左右する重要なポイントの一つであること、<3>したがつて、産科医は、明らかに破水している場合はもとより、破水が疑われる場合であつても、可及的速やかに破水を確認し、必要な処置を講ずるべきであること、<4>特に、本件のような妊娠末期における前期破水(陣痛が開始する前の破水)の場合には、消毒を厳重にして内診し、破水を確認するとともに胎児進部の骨盤内下降度と臍帯脱出のないことを確認したら、妊婦に臥床安静をとらせ経過を観察すること、発熱等感染の兆候があれば抗生物質を投与すること、児頭がよく固定している場合は絶対安静の必要はないが、未固定の場合は骨盤高位にして絶対安静をとらせることなどの処置が必要とされていること、が認められる。

したがつて、被控訴人は、前記のとおり(原判決判示)、控訴人光子から陣痛はないが少量の水がおりた旨前期破水があつたことを示す内容の電話連絡を受けたのであるから、直ちに控訴人光子に対して来院を指示して来院させた上、破水を確認するとともに消毒を厳重にする等の必要な処置を講ずるべきであつたのに、これを怠り、単に、羊水であれば入浴してはいけない、外陰部を清潔にするため脱脂綿を当てておくこと、おりものがたくさんになつたら夜中でも来院するように、などと電話で指示をしただけである。控訴人光子は、初産婦であるから、被控訴人から右のような電話による指示を受けただけで、果たして指示内容を正確に把握した上で的確な処置をとることができるものか、疑問なしとしない。被控訴人は、控訴人光子がその翌日(昭和五二年七月八日)の午前三時ころ来院した際、内診して破水の状況と臍帯の下垂や脱出のないことを確認してはいる(原判決判示)ものの、破水と同時に前期<1>ないし<4>に説示した事情に起因する諸症状が起こることもある(麻生鑑定等)ことに鑑みると、事後に右のような処置が採られたからといつて、それによつて事前の処置に落ち度がなかつたということにはならない。したがつて、控訴人光子から前期破水を示す電話を受けたことに対する被控訴人の前記対応は、産科医としての義務を十分に行つたものとは到底いえず、控訴人らに対する義務違反(過失)であるといわざるを得ない。

2  「二度にわたる帰宅の指示」に関する控訴人らの主張〔請求原因3(一)(2)〕について

控訴人らは、「控訴人光子が破水し、臍帯脱出、感染等の危険性があつたのであるから、被控訴人においては、同控訴人を入院させたまま安静療法を行う義務があつたのに、これを怠り、同月一〇日、控訴人光子を二度にわたつて自宅へ帰宅させた」旨主張する。

前記のとおり(原判決判示)、被控訴人は、控訴人光子を昭和五二年七月八日午前三時ころ入院させ、陣痛促進剤等を投与しながらその様子を見ていたが、右の投与がなされた直後には陣痛が生じるものの、間もなく微弱となるなどの経過を繰り返していたため、同月一〇日午前九時ころ、控訴人らの自宅が被控訴人医院から徒歩で五分程度の近距離であつたところから、環境を変え、控訴人光子の気分転換を図つて自然の陣痛を期待することとして、一旦同控訴人を徒歩で帰宅させたものである。

ところで、麻生鑑定等、寺田鑑定等及び《証拠略》によれば、一旦開始した分娩がその後進行を停止することは稀ではなく、分娩第一期(子宮口の開口から全開大まで-原審における被控訴人(第一回)は母児に異常がなければ十分時間をかけても問題はなく、気分転換を図り、自然な陣痛の再来を待つことは一般的にはよく行われていることであることが認められるから、このような観点だけに依拠すれば、被控訴人が控訴人光子を右に述べたような経緯により一時帰宅させたこと自体を把えて直ちにこれを不適切な措置であつたとまでは認められないこととなるであろう。しかしながら、右の各証拠によれば、本件のような前期破水の場合の管理の重要な点の一つが、いかにして子宮内感染を抑えるかということにあり、膣からの上行性感染を完全に阻止することは不可能であり、これを最小限に止めるため、外陰部の消毒、特に用便後の消毒はもとより内診を行う際にも厳重な清潔管理が求められ、その予防には抗生物質の投与をもつてしても不十分であること及び帰宅中に陣痛が生じて臍帯脱出・下垂、臍帯圧迫などによる胎児仮死の生じる危険性のあることが認められ、したがつて、右の各観点(子宮内感染及び胎児仮死の防止)からすると、被控訴人が控訴人光子を一時帰宅させた行為は、産科医として適切なものであつたとはいえず、控訴人らに対する義務違反であることを否定することはできない。

なお、控訴人らは、被控訴人が控訴人光子を二度にわたつて帰宅させた旨主張するが、右に述べた以外に被控訴人が控訴人光子を帰宅させたことはなく、この点に関する控訴人らの供述(原審)は採用できない。

8 「帝王切開を行う態勢を整えなかつた過失及び帝王切開等他の方法を検討すべき義務の懈怠」に関する控訴人らの主張〔請求原因3(一)(3)〕について

控訴人らは、「被控訴人は、昭和五二年七月一一日午後までの控訴人光子の分娩経過に照らし、児頭骨盤不均衡ないし児頭の回旋異常を疑うことが十分可能であつたのであるから、適切な分娩監視をなし、更に経膣分娩が困難であることを認識或いは予測して帝王切開術を実施することなど他の方法をも考慮すべき義務があるのに、これを怠り、同日午後二時ころから控訴人光子を分娩台に一人放置したままにし、同日午後八時ころから漫然と陣痛促進剤を用いただけで帝王切開術に備える態勢を備える措置を採らなかつた」旨主張する。

前記のとおり(原判決判示)、昭和五二年七月一一日午後二時ころ控訴人光子は被控訴人医院の分娩室に入つたのであるが、その段階においては、控訴人光子の破水後約九〇時間近く、陣痛開始後約八〇時間が経過し、著しい遷延分娩の状況にあり、その間数回にわたつて陣痛促進剤を投与するなどの処置を講じたものの、功を奏するに至つていない。このように、通常の分娩時間の数倍を経て、しかも度々の陣痛促進剤の投与にもかかわらず、分娩が功を奏していないような場合、産科医としては、もはや単に陣痛促進剤を投与しただけでは容易に分娩が終了しないことが判明しているのであるから、遅くともそのような段階に至つた以上、いたずらに同様の処置を講じて更に分娩を遷延させ、その結果、子宮内感染を起こさせ、或いはそれを増悪させるなどして胎児仮死を発生・進行させることのないよう、児頭骨盤不均衡ないし児頭の回旋異常の有無を疑うなどして、その原因についてあらゆる角度から検討を加え、経膣分娩が可能なのかどうかを速やかに判断し、もしそれが不可能な場合は直ちに帝王切開術ができるための措置を講じる(そのための転院手続をも含めて)などの処置を採るべき義務があると考えられる(麻生鑑定等、寺田鑑定等も同旨)。特に、被控訴人医院においては帝王切開術を施行する態勢が整つていないのであるから、同術を施行するための準備態勢を採るなどの処置は、それが整つている場合に比して相当早目にこれを行うべきである。ところが、被控訴人は、右の段階に至つても、児心音が正常であること及び内外診によつて児頭骨盤不均衡ないし児頭の回旋異常はないものと判断して(原審被控訴人第一回)、経膣分娩が可能であるものと軽信し、同日午後二時ころから同八時ころまでの間控訴人光子に対して何らの処置を施さなかつた上、他方においては同時ころから同一〇時ころまでの間に又もや強力な陣痛促進剤の投与を、それも、必ずしも好ましい方法とはいえない分割投与法による皮下注射投与の方法により、合計三回にわたつて行つたものであつて、経膣分娩が可能であるかどうかの検討やそれが不可能であつた場合に向けての準備態勢を採るなどの適切な処置は何ら採つていない。したがつて、この点において被控訴人には過失があるというべきである(当時、被控訴人は、児頭骨盤不均衡ないし児頭の回旋異常はないものと判断したが、前記の方法以外にその有無を判断する術がなかつたとはいえない。例えば、エックス線により右の不均衡の有無の判断は可能である。麻生鑑定等、原審証人安江弘之)。もつとも、そのころ、子宮内感染防止のため抗生物質の投与が行われている上、未だ被控訴人記載に係るカルテには羊水の混濁を表す記載はない等胎児仮死の明確な兆候は現れていないし、胎児仮死を疑うことが容易であつたとはいえない(寺田鑑定等)が、先に述べたように、抗生物質の投与のみによつて子宮内感染を完全に防止することはできない上、右の段階においては、通常の分娩時間を遥かに超えている上、陣痛促進剤の投与によつても分娩が功を奏しない状況にある以上、少なくとも子宮内感染の危険性は相当に高まつているものと考えるべき状況にあつたものというべきである。被控訴人作成に係る右のカルテ上、羊水混濁の有無については、昭和五二年七月八日午前三時、同日午前九時及び同月九日午前九時三〇分の各欄に「混濁なし」との記載があるだけであつて、その後転院する同月一一日午後一一時の欄に至るまで全くその点に関する記載がないが、羊水混濁の有無についての記載がないということだけから、直ちに羊水の混濁がなかつたということまで認めることのできないことは当然であつて、転院先の訴外病院の控訴人光子に関する入院診療録には、「内藤産婦人科より羊水混濁のため当院紹介され入院す」との記載があり、また、一般に羊水は、破水後間もないころは流出がたやすく認められるところから、その混濁の有無も容易に判断できるものの、破水後時間を経るにつれて羊水の流出が続くことによつて、その後は羊水の流出の有無及び混濁の有無を判断することが困難になる(原審証人安江弘之)ことなどに徴すると、本件においては、右のカルテに羊水混濁の有無についての記載がされていない或る一定の時期から(それが何時であるかは明確ではないが。)羊水の混濁が生じていたものと推認するのが相当と考えられる。このように控訴人光子の分娩は極めて遷延し、決して安穏と事態の推移を見ていれば足りるという状態ではなかつたのに、被控訴人は、母児の一般状態に特に異常がないということから、従前同様の処置を採るに止まり、経膣分娩が不可能である場合を考慮した準備態勢等は何ら採らなかつたのであるから、右投生物質の投与等の措置によつて右の過失が否定されるものでないことは明らかである。

4  「帝王切開術決定の判断時期を誤つた過失-転院の時期を失した過失」に関する控訴人らの主張〔請求原因3(一)(4)〕について

控訴人らは、「帝王切開術を行わない開業医師の場合には、できるだけ早期に右の手術を施行するかどうかの判断をするよう努力する必要があるところ、被控訴人医院においては帝王切開術を施行する態勢になかつたのであるから、遅くとも同月一一日午後二時以後夕方までの間に右の手術態勢の整つた病院への転院の措置を採るべき義務があつたのに、これを怠り、十分な態勢も整つていない被控訴人医院において漫然と陣痛促進の措置を再開し、転院の時期を失つた。もし、同日午後二時過ぎころまで(遅くとも夕方まで)に訴外病院へ転院の措置を採つていれば、本件の不幸な結果は完全に避け得たものである」旨主張する。

本件当時、被控訴人医院においては帝王切開術を施行する態勢になかつたことは、先に見たとおりである。そして、緊急を要する帝王切開術の場合には、手術決定から実施までの時間が母児の予後を左右するものであるから、被控訴人医院のように帝王切開術を施行する態勢にない開業医師の場合には、できるだけ早期に手術決定の判断を下すことができるよう努める必要があり(寺田鑑定等)、特に、本件のように通常の分娩時間を大幅に超えて遷延分娩の状態が進み、子宮内感染の危険性更には胎児仮死の危険性をも孕んでいる場合には、殊の外母児の健康状態に気をつかい、分娩の経緯等について細心の注意を払うなどして、帝王切開術を施行するかどうかの決定について時機を失することのないよう努めるべきものと考えられる。しかして、被控訴人は、当時胎児の心音に異常がなく、母児の健康状態に特に異常があるとは認められなかつたところから、経膣分娩が可能であるとして従前とほぼ同様の処置を採り続けたことは先に見たとおりであり、母児の健康状態を一応把握した上で経膣分娩に向かつての処置を続けていることに照らすと、その処置(時間の推移とともに変化する母児の健康状態等との関連において、なお経膣分娩が可能であると判断することが必ずしも不相当ではないと評価しうべき最終時期までの措置)自体が直ちに重大な懈怠であると断定することはできない(同旨、寺田及び麻生の各鑑定等)。しかしながら、前記のとおり、右の段階においては、既に著しい遷延分娩の状態に至つているのであり、子宮内感染や胎児仮死発生の危険性が否定できない状況にあつたのであるから(現に、被控訴人自身、帝王切開術を施行することに踏み切つた理由として、「破水から三日目であり、細菌感染を考慮して早く分娩を遂行すべきものと考えた」旨供述している(原審における被控訴人の第一回供述。但し、右にいう「破水から三日目」というのは明らかに誤りである。七月七日午後九時ころ破水が開始したのであるから、同月一一日の被控訴人が帝王切開術の施行を決意した夜の一一時ころの段階で既に丸四日を過ぎ、五日目に入つている。)、産婦や胎児の一般的健康状態に異常が認められなかつたとしても、もはや経膣分娩の可能性を諦め、帝王切開術等他の方法を具体的に検討する時機に至つていたのではないかとの誹りは免れない。もとより、分娩に当たつての医師の処置については、分娩というものが刻々と事態の流動するものであることを考慮すると、その置かれていた具体的な諸般の状況を十分理解した上で、その処置の適否を論ずるべきものであることは、いうまでもないことであるが、本件における先に見た状況に鑑みると、被控訴人が、右のように遷延した分娩状況の段階に至つても、なお帝王切開術等他の方法を具体的に検討することもないまま、漫然と従前同様の措置を採り続けたことは、不適切な措置であるといわざるを得ず、開業産科医としての注意義務に違反した過失と認めるの外はない。

5  「後院(転院先)への十分な情報提供をしなかつた過失」に関する控訴人らの主張〔請求原因3(一)(5)〕について

控訴人らは、「医師が患者を他の医院等に転院させる場合、転院までの間に採られた処置や患者の経過等についての情報は、転院先の医師がその後の治療方針を的確に決定するのに不可欠なそれ(情報)であるから、医師はこれらの情報を転院先の医師に対して詳細、適切に伝達する義務がある。したがつて、本件の場合、被控訴人は、控訴人光子を訴外病院へ転院させるに際し、同病院に対し、これまでの診療経過を十分説明し、その上で適切な措置が採られるよう努めるべきであつたのに、これを怠り、既に宿舎に戻つていた鈴置医師に対し、単に帝王切開を頼むと電話をしたに過ぎず、このため訴外病院は控訴人光子の胎児の変化に対する適切な対応措置を採ることができなかつた」旨主張する。

転院先の医師も医師という専門家として、前院の医師とは独立した判断や処置を行うことができ、したがつて、転院後の具体的な処置についてたとえ転院前(前院)の医師から指示を受けていたとしても、それについて拘束を受けるものでないことはいうまでもない。しかしながら、医師が患者を他の医院等に転院させる場合、転院までの間に採られた処置や患者の経過等は、転院先の医師がその後の治療方針を的確に決定するに当たつて把握・認識すべき不可欠な事柄であるから、前院の医師はこれらを転院先の医師に対して詳細に説明する義務があることは、控訴人ら主張のとおりである。本件の場合、控訴人光子の分娩経過は、転院当時には破水後一〇〇時間近くも経るなど著しい遷延分娩の状態にあり、遅くとも転院直前には羊水の混濁も生じるに至つているなど、子宮内感染及び胎児仮死が現実化していたともいえる状態であつて、被控訴人としても、右の段階においては、少なくとも右の現実化の危険性を予測することのできる状況にあつたものというべく、自らもはや帝王切開術を施行する以外には適切な分娩方法を見い出すことはできないと判断して転院させることとしたのであるから、そのように判断した根拠並びにそれまでに投与した薬の種類や量及びこれに対する妊婦の反応等を含む分娩の経緯についての転院先に対する詳細、適切な情報の伝達は、転院先である訴外病院において被控訴人からの要望どおり帝王切開術を実施できるかどうか及びそれができない場合或いはできるとしても他の方法を採ることが相当であるかどうかなどを判断するについての極めて重要な事柄であり、不可欠なことといわなければならない。ところが、被控訴人は、控訴人光子を訴外病院に転院させるに際し、前記のとおり、分娩の長引いている患者がいて、子宮口は開いているが、陣痛が弱くて普通の産道から産むのはとても無理と思われるので、できたら帝王切開術をお願いしたい旨を訴外病院の鈴置医師に申し入れたに過ぎず、それ以上には、控訴人光子に投与した薬の種類、量等を初めとする被控訴人医院における控訴人光子の分娩に関する従前の詳細な内容についての説明はしなかつたのであり、しかも、これを了解した同医師が更に電話で同病院の安江医師にその旨を伝達してその後の処置を委任したというものであつて、右の経緯に徴すると、被控訴人が前院の医師として後院である訴外病院に対して行つた控訴人光子の分娩経緯に関する説明が不十分であつたことは明らかであり、控訴人らに対する義務違反(過失)というべきである。

6  「転院に際しての転送方法についての過失」に関する控訴人らの主張〔請求原因3(一)(6)〕について

控訴人らは、「分娩第二期である子宮口全開から胎児娩出までの間は、異常の発生する危険が最も高く、特に胎児にとつては骨盤に児頭が固定して強い圧迫を受けることとなるので、細心の注意を払い、慎重な分娩管理のもとに、右の第二期をできるだけ短縮するようにしなければならない。特に本件においては、この時期に経膣分娩の進行に最も重要な娩出力である陣痛が弱くなつていたのであり、しかもそれまでの経過に鑑み、更に薬物を投与するなどの方法による陣痛促進の措置を講ずることが危険性の高い方法であることは、被控訴人においても十分に認識していたのであるから、被控訴人としては、控訴人光子を訴外病院へ転院させるに際し、救急車を手配するなどして妊婦の状況に変化を来さないように配慮し、被控訴人自身同車に添乗して訴外病院の鈴置医師や安江医師に直接面談し、それまでの経過を詳しく説明した上、帝王切開の必要性及びそれ以外にもはや適切な方法はない旨をも説明すべきであつた。しかるに、被控訴人はこれを怠り、控訴人光子を救急車ではなく控訴人実の運転する普通自動車で行かせ、被控訴人はもとより、看護婦さえも付添い同乗しなかつた。このため、控訴人光子は、車内で不自然な姿勢を強いられ、或いは歩行等によつて胎児の位置・状況等に変動を来たした上、転院までの経過を全く知らず、知らされてもいないため経膣分娩可能と速断した安江医師により、危険、かつ異常な陣痛促進誘発方法を用いた安易な吸引分娩の方法によつて分娩させられ、これによつて美智子に硬膜下出血の傷害を負わせ、死亡するに至らしめた」旨主張する。

前記のとおり(原判決判示等)、控訴人光子は、被控訴人が控訴人光子を訴外病院へ転院させることとした段階では、既に子宮口がほぼ全開しているのであつて、この子宮口の全開から胎児の娩出までの分娩第二期(原審における被控訴人第一回)は、児頭が骨盤内で最も狭い箇所を通過することとなるところから、児頭に加わる外力の程度が最大となり、硬膜下出血を発症する危険性も高く、したがつて、この期間をできるだけ短縮するように努めるとともに、児頭への影響をできるだけ少なくするよう細心の注意を払い、慎重に分娩管理することが重要なこととされている(麻生鑑定書)。特に本件は、著しい遷延分娩の状態にあつたにもかかわらず陣痛微弱であつたため、被控訴人において帝王切開術を施行する外ないと判断したものの、被控訴人医院にその態勢が整つていないためそれの整つている訴外病院においてそれを施行して貰うことを目的として転院を図ろうとしたものであつて、いわば被控訴人側の事情によつて患者である控訴人光子を他へ転院させざるを得なかつた場合であるから、被控訴人としては、転院させることによつて、控訴人光子を自己の医院で帝王切開術を施行できた場合に比較してより劣悪な状態に陥れるようなことのないよう特段の配慮をすべき注意義務があつたものといわなければならない。それ故、被控訴人は、訴外病院に控訴人光子を転院させるに当たつては、前記のとおり、それまでの分娩経緯の詳細を後院に伝達する義務があることはもとより、その転送方法に関しても、被控訴人医院における控訴人光子の状態は、前記したとおり正に一刻をも争う程緊迫した状態にあり、その状態においては帝王切開術を施行する外には他に手の施しようもない程の状況にあつたのであるから、自己が出来ない右帝王切開術をそのままの状態で訴外病院に行つて貰えるよう可能な限り努めるべき義務があり、したがつて、被控訴人は、右転送に際し、まず控訴人光子の状態に変化が生じないよう可能な限りの措置を講ずるべきであり、また、仮に転送中にその状態に変化が生じたような場合においては新たに生じた状態に訴外病院が的確に対応できるよう、控訴人光子に付き添つて訴外病院に赴いて被控訴人医院における従前の経緯の詳細を正確に伝達し、いやしくも訴外病院において従前の分娩の正確な経緯を知らなかつたことにより不適切な措置を講ずるなどということのないよう万全の注意を払うべきであつたものというべきである。ところが、被控訴人は、訴外病院への控訴人光子の転送に際し、これを怠り、前記のとおり、控訴人らから救急車での転院希望の申し出があつたのにこれに応じないで、救急車に比較して、産婦や胎児の状態に一層変化を生じさせる危険性の高い方法と認められる控訴人実運転の自動車で転院させたものであつて、その際、自らそれに同乗するなどして控訴人らに付き添うとか、分娩の経緯の詳細を訴外病院に伝えるとか、ということをしなかつたものであり、被控訴人には、控訴人光子の転送について産科医としての義務違反(過失)があつたものというべきである。

六  被控訴人の過失と美智子の死亡との間の相当因果関係の有無について

前記のとおり(原判決判示も参照)、控訴人光子が被控訴人医院の分娩室に入つた昭和五二年七月一一日の午後二時ころの時点において、控訴人光子は、その破水から約九〇時間近く、陣痛開始から約八〇時間以上が経過し、著しい遷延分娩の状態を来し、陣痛促進剤の投与によつても分娩が功を奏せず、依然として陣痛微弱の状態を繰り返している状態にあつたのであるが、これに対して被控訴人は、被控訴人医院においては帝王切開術が施行できる態勢になかつたにもかかわらず、このような状況の下においてもなお控訴人光子の経膣分娩が果たして可能であるかどうかについての詳細な検討やそれが不可能であつた場合に向けての準備態勢(転院手続を含む。)を採るなどの適切な処置を採らなかつたのである。そして、未だこの時点においては、控訴人光子について胎児仮死の兆候である羊水の混濁があつたか否かは必ずしも明らかではないが、仮に混濁があつたとしても胎児仮死の状況が生じていた可能性は少なく、また、たとえ胎児仮死の状況が生じていたとしてもその程度は軽いものであつたものと推認できるから、もしも、遅くとも、右の時点(控訴人光子が被控訴人医院の分娩室に入つた同日午後二時ころ)から約一時間(被控訴人において控訴人光子の経過観察等に通常要すると考えられる時間)が経過した同日午後三時ころの時点で被控訴人が右の適切な処置を採り、控訴人光子を訴外病院に転院させていたとすれば、その段階では同控訴人は未だ排臨状態に至つていなかつたのであるから、同病院において被控訴人の要望どおりに同控訴人に対する帝王切開術が施行されたことの可能性は高く、また、たとえ同術の施行がなされないで本件のような吸引分娩の方法が採られたとしても、その吸引分娩は、胎児仮死の発生がないか又は仮にあつたとしてもその程度の軽いものであつたと予想される状態の下での施行であつた筈であると考えられるから、その際相当強力な牽引力等が児頭に作用したとしても、それが胎児の硬膜下出血の引き金となつたことの可能性は低かつた筈であると推認できるのであつて、この意味において、被控訴人に課せられた控訴人光子についての診療上の義務(前説示のように、同控訴人を転院させて帝王切開術を受けさせることの検討を含めて、同控訴人の状況等に応じた適切な対処の方法を検討すべき義務)の懈怠と美智子の死亡との間には相当因果関係があると認めることができる。また、前記のとおり、被控訴人には、控訴人光子を訴外病院へ転送するに際し、帝王切開術の施行を希望した根拠及び被控訴人医院における控訴人光子の従前の分娩経緯の詳細を転院先に伝達しなかつたこと、更には、その転送手段として救急車を利用しなかつたこと及びその際、被控訴人医院側からの付添い人が一人もいなかつたことなどの点に義務違反があるものというべきところ、もし被控訴人において、右転送に際し、帝王切開術の施行を希望した根拠並びに被控訴人医院において投与された陣痛促進剤の種類や量及びこれに対する妊婦の反応等を含む分娩経緯の詳細を転院先に伝達していたとすれば、訴外病院での分娩を担当することとなつた安江医師も、単にその当時控訴人光子が排臨状態であつたということだけの理由で被控訴人の要望していた帝王切開術の施行をたやすく断念することもなかつたものと思われ、また、仮に安江医師が右切開術の施行を断念して他の方法を採つた場合においても、既に被控訴人から相当量の投与がされていた陣痛促進剤を更に安江医師がそれまで以上に強力な方法・量を用いて控訴人光子に対して投与するというようなこともなかつたであろうし、また、同医師が同控訴人に対して三度という吸引分娩としては限界ぎりぎりの回数までもそれを試みるというようなこともなかつたのではないかと思われるのである。そして、このように帝王切開術の断念等がなかつた場合、美智子に硬膜下出血が発生しなかつたことの可能性は相当に高いものと認められるから、このような本件の下においては、被控訴人による右の各義務違反と美智子の死亡との間にも相当因果関係があるものと認めるのが相当である。更に、前認定に係る訴外病院への転送方法に関する被控訴人の過失についても、もし被控訴人において、転送先に救急車を手配するなどして妊婦の状況に変化を来さないように配慮し、被控訴人自身同車に添乗して訴外病院の鈴置医師や安江医師と直接面談し、それまでの経過を詳しく説明した上、帝王切開の必要性及びそれ以外にもはや適切な方法はない旨をも説明していたとすれば、そもそも控訴人光子が訴外病院に転近された段階では同控訴人は未だ排臨状態に至つていなかつたかも知れないし、たとえ同控訴人がその当時既に排臨状態に至つていたとしても、訴外病院が同控訴人について被控訴人の申し出と異なる分娩方法をたやすく採用し、或いは本件において現に採つたような相当強引ともいうべき吸引分娩の方法を採つたとは容易に認められないものというべきであるから、この点に関する義務違反と美智子の死亡との間にも相当因果関係を認めるのが相当である。

被控訴人は、「安江医師の行つた常識的とはいえない陣痛促進剤の投与及び三回にも及ぶ吸引分娩措置が美智子の硬膜下出血の原因と考えられるから、被控訴人の処置と同女の硬膜下出血との間には因果関係がない、即ち、被控訴人としては、硬膜下出血が起こるとは通常考えられない帝王切開術の処置を後医に依頼し、その依頼された術を実施しようとすれば可能な状況で、しかもそれを実施した場合には後院(訴外病院)到着後三〇分以内には胎児を娩出することができた程の状態であつたが、後医(安江医師)は、帝王切開術の処置とともに吸引分娩も可能であると判断した上で後者の処置を選択し、転院後約三八分後に分娩を了した、という経緯に照らすと、被控訴人の処置と美智子の硬膜下出血との間には因果関係がないものというべきである」旨主張する。

しかしながら、安江医師の処置が美智子の硬膜下出血の一要因をなしていたとしても、右に述べたように、それは、被控訴人の右の各義務違反行為が原因して招来されたことであり、被控訴人の右各違反行為がなければ安江医師の右処置もなく、したがつて、美智子が死亡することもなかつたであろうと認められるのであり、そして、先に見た控訴人光子の分娩経緯等の諸事情に鑑みると、本件の場合、被控訴人の右各義務違反(過失)の有無にかかわらず安江医師の処置のみによつて美智子が死亡したであろうという特段の事情を認めることはできないから、結局、被控訴人の右各義務違反と美智子の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。被控訴人の右の主張は失当である。

したがつて、本件においては、被控訴人が前記の各義務を果たしていたならば美智子は死亡しなかつたものと認められるから、美智子が死亡したことについて、被控訴人は、控訴人らに対し、債務不履行及び不法行為の各責任を負い、控訴人らの被つた後記損害を賠償する義務がある。

七  損害

1  美智子の損害

(一)  逸失利益

美智子は生後間もなく死亡したものであり、本件事故により死亡することがなければ、満一八歳に達したときから満六七歳に達するまでの四九年間就労して収入を得ることができたはずであるから、昭和五一年度賃金センサス第一巻第一表による産業計女子労働者新高卒の平均年収額である一〇七万一九〇〇円を基礎とし、生活費の控除割合を五〇パーセントとして、ホフマン方式(係数一六・四一九)により中間利益を控除することによつて死亡当時の逸失利益を算出すると、次の計算式のとおり、八七九万九七六三円となる。

1、071、900円×0.5×16.419=8、798、763円

(二) 慰藉料

美智子は新生児仮死第一度で生まれた僅か約四〇時間後に死亡していることなど本件の諸事情に照らすと、同女が死亡したことにより被控訴人に対して請求できる同女自身の慰謝料としては、一〇〇万円をもつて相当と認める。

(三) 控訴人らの相続

美智子は、被控訴人に対し、右(一)、(二)の合計である九七九万八七六三円の損害賠償請求権を取得しうべきであつたところ、美智子の死亡により、その両親である控訴人らは、右損害賠償請求権を二分の一ずつ(四八九万九三八一円ずつ-円未満切捨て)相続した。

2  控訴人らの損害

(一)  慰藉料

本件の諸事情に鑑みると、美智子の死亡により控訴人らが受けた精神的苦痛を慰藉するには、控訴人光子については五〇〇万円、控訴人実については三〇〇万円をもつて相当と認める。

(二)  弁護士費用

本件訴訟の内容、訴訟遂行の態様、訴訟の経過、認容額及び弁護士費用の支払時から遅延損害金の支払日までの中間利息の額等の諸事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は、控訴人光子については九〇万円、控訴人実については七〇万円と認めるのが相当である。

(三)  葬儀費用

控訴人実は、美智子の葬儀を喪主として執り行い、その葬儀費用として約三〇万円を支出したことが認められるところ(原審における控訴人ら)、本件の事案に照らすと右同額をもつて美智子の死亡と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

八  結論

以上によれば、控訴人らの被控訴人に対する本訴請求は、控訴人光子が一〇七九万九三八一円、控訴人実が八八九万九三八一円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五三年一〇月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右理由のある部分は認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。したがつて、控訴人らの本訴請求をすべて理由がないとして棄却した原判決は不当であつて、控訴人らの本件控訴は一部理由がある。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 服部正明 裁判官 林 輝 裁判官 鈴木敏之)

《当事者》

控訴人 遠山 実 <ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 山路正雄

被控訴人 内藤 宏

右訴訟代理人弁護士 後藤昭樹 同 太田博之 同 立岡 亘 同 中村勝己

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